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【読書】選択の科学

更新日:2018年9月28日

最近、アマゾンで何冊か本を買ったので、ぱらぱらと読み進めておりますが、その中のひとつに「選択の科学」という本があります。

まだ途中なのですが、読んだ範囲内で面白かったのは、選択する事そのものにも意味がある、って事です。



選択の結果がどうであれ、人だけではなく動物さえも「自分の意志で選択する。」という欲求は、結構重要な事で、選択の自由が奪われてしまうと、それだけでやる気がなくなるというか、気合いが入らないというか、意欲が失せるというか、まぁ、そんな感じになるみたいです。


では、ちょっと想像してみてください。 あなたが考えうる中でも、最高のホテル。 素晴らしい部屋に素晴らしい料理、そして素晴らしいサービスの数々。あなたの休暇を満足させるのに十分な施設。もし、そこが無料だったとしたらどうでしょう?

もちろん、誰だって行きたいですよね。ただし、このホテルにはひとつだけ条件があります。それは、一度チェックインすると二度と出られない。という事。

はたして、その条件を飲んでも、そのホテルに行きたいと思う人はどれほどいるでしょうか?


平均的な動物園の動物は、野生の動物よりも寿命が短いみたいです。(襲われて半ばで力尽きるのを除く)それは上記のような、完全に至れり尽くせりの環境で、明日の食事を心配する必要がまったくないような状況とさほど変わらないのに、です。


ポイントは、不確定要素があっても自分に選択のチカラがある場合と、不確定要素もなく、日々、何者かの管理下の中でその状況をどうする事もできない状況にある(選択の余地がない)場合との違いでしょうか。


明日の保障、今日の自由

野生であれば、明日の食事は明日の狩りの結果にかかっています。自分のチカラで目の前に食事を用意できるのか?それとも、とてもラッキーな状況が突然目の前に現れるのか?はたまた、明日一日、なにも食べられず空腹と戦うのか?それは、現時点ではなにも分かりません。選択の自由がある代わりに、明日の保証がない。ストレスの強さでは、動物園の動物よりも、野生の方がはるかに強いと言えるのでしょうが、別の角度から見ると、明日の保証がされている(かどうかも、動物には分からないかもしれませんが)、安全な環境にいたとしても、選択の自由がない場合には、それはそれでストレスになり、また、やる気や意欲を減退させる要因になるようです。


過酷な環境でも自由を求める。自由を捨ててでも安全な飼いならされた環境を求める。どちらが正解という訳ではないですが、いつの時代・どの世界にも、自由には過酷さや責任が伴うんだなぁ、と考えたりしています。


選択の科学、読み進めたいと思います。




 

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