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いつも最良の判断を下したいという欲求。


いつも、出来る限りベストな判断を下されば。と、思っています。

その判断の責任が、自身だけにとどまらない立場にあるので、なおさらそういう思いが強いです。大きなことはもちろんですが、「小さなことでも、常に最良の判断で。」と心がけています。

たとえば、ちょっとあいた時間に、ご飯を食べるべきかどうか?とかも、一瞬ではありますが、仕事とのバランスを考えたりします。もう、重度のワーカホリックです。会社が守るべきものNo.1なので、それでも別に悪くはないかな。と、思っています。(もちろん、その上には、自分の信念だとか、人生だとか、思想だとか、そういうのはありますよ)

では、最良の判断の敵は何だと思いますか?

最悪というのは、反対語であって敵ではありません。

本の受け売りとオリジナルが入り混じりますが、「最良の判断の敵は、怠惰と良である」と、思っています。

怠惰が敵なのは、理解しやすいと思います。 本当は仕事した方が良い。勉強した方が良い。相手のために時間を使った方が良い。などなど、自分で何が最良かわかっているのに、怠惰に流される。そうはなりたくないですが、疲れてたり、精神的に参ってたりすると、それも難しいのかもしれません。



良のどのあたりが敵なのでしょうか? 単純に言うと、目先の小さな良を追い求めながら、最良を得ることは難しい。という考えに基づきます。逆に言うと、目先の小さな良を断ち切る勇気や信念が、結果的に最良なものを手に入れることにつながる。という、アイデアのひとつです。




そのあたりは、短期と長期のバランスです。バランス感覚は勉強や経験である程度成長させられます。

最終的にどういう判断を下すか?は、長期的な目標から逆算すべきであると考えています。小さな、数多くの良が本当に求めるものであれば、それは最良ということであり、そうでない場合こそ、最良と良の違いを認識しているということであり、あくまで最良を目指すのが望ましい。と、心の奥では理解している。というのが、私の個人的な見解です。

しかし、バランスこそ真理だと思いますが、簡単ではないですね。


 

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