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経営者になった理由


突然ですが、私が経営者になった理由について書いてみようかなと。

深い意味はないです。最近のやや小難しい話は、見えないチカラが働いているものとご理解ください。


さて理由ですが、まず第一に、経営者になりたかった。というのがあります。これが大きいですね。なんでかと申しますと、いくつか理由がある訳ですが、

  • 自分のチカラを試したかったから

  • 最終的な判断(人に任せるというのも含めて)と、それに伴う責任を負えるから。(その方が面白い)

  • 儲かりそう

  • 格好良い

  • 時間的な自由が利く

そんな感じでしょうか。で、経営者になって10年以上が経つ訳ですが、実際の所はどうだったかというと…。まぁ、だいたい上記の目的は、現在進行形ですがズレてなくはないと思っています。ですがやはり、経営者って思った以上に大変だな、と。

責任の部分において、責任を果たすために全ての労力を捧げる覚悟が必要だなー、そこまで考えてなかったなー、と。




ビジネスって、どうしても運の要素があります。

なので、どれだけがんばってもダメな時はダメだと思います。ですが、ダメかどうかも分からない。というのが運であり、確率であり、ビジネスなので、であれば、成功する可能性の追求をやめてはいけないと思う訳です。

可能性の追求とは何か?ダメだと思わず、可能性を信じてあと1日続ける事であったり、同じ業務を低コストでできるようにする工夫であったり、まぁ、そんな事です。はっきり言って、かなり地味な日々の行いです。



それはそれは、地味ですよー。

当たり前すぎて面白みには欠けるかもしれません。もちろん、社運を左右するような決断も経営者には求められる場面もあり、それはとてもストレスでもあり面白くもあるのですが、そういうのって、業務の1%にも満たないくらいの少ない機会だと感ではないかなぁ、と。


なので、私が個人的に思う経営者の醍醐味ですが、それはもう、日々の地味な仕事が報われていると感じる時、今日もこうして会社が存続できている状態を再確認した時。


ですかね。もちろん、さっきも書いたように、大きな決断が”成功した”と思えるような時も嬉しさはありますが、目先のひとつひとつの事に一喜一憂するのではなく、長い視点を持って考えると、このようになります。


あとはなんでしょうね?

責任が重い分、なんとなく、生きてる感あるんじゃないかな?と。もちろん、責任が重いと言う事は、それだけ大変なのは事実ですので、危機に瀕しそうな場合には、その他の全てに対して会社を優先する事を強いられます。というか、強いられる訳ではないですが、優先しない場合の責任もまた、負わなくてはなりません。




そういうの、向いていない人には向いていないと思うのですが、エキサイティングな人生を求めている人にはぴったりの職業だと思いますよ。



 

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