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客観的な見方、あるべき姿。





何事も客観的でありたい

日ごろから、できるだけ客観的なものの見方をできるように。と、心がけています。私も含めて、誰もが主観で物事を見ているのは事実なので。

私の思う、客観的とは、

  1. 多数意見かどうか?

  2. 法的に見てどうか?

みたいな感じです。多数意見かどうか?も、多数派が80%を超えないようなら、どちらの意見もあるものだ。という認識をしていますし、できるだけ、どちらかが正しいとか、結論は出さないようにしています。(必要なければ)




「絶対的に正しいこと」などない

絶対的に正しい事など、そうそうあったものではないので、私個人としては前述の2つを尺度として、物事の客観性を測るようにしています。それでも「自分は客観的に物事をみていて、相手が主観的なんだ!」と決め付けてしまったり、そう解釈したくなる時もあります。


所詮、物事を客観的に見る事には限界があるので、私としては、「客観的に見る努力」と、位置づけることにしました。って、ずいぶん昔の話ですが・・・。

ただ、 そういう努力を怠らないなら、より、客観性の高いものの見方ができるようになるのではないか?


そうしたら、 物事のあるべき姿(こうあって欲しいと思う主観性)ではなく、物事のあるがままの姿(客観性・真実・ありのまま)に近づけるんじゃないか?と、思っています。



理想の自分

でも、自分に近い人たちには、ちょっとえらそうですが、あるべき姿をイメージして、お付き合いするようにしています。って、それも昔からなのですが、理由としては、気にいった言葉に出会ったからです。

「今の姿を見て接するなら、今のままだろう。あるべき姿を見て接するなら、あるべき姿に成長するだろう」と。


ラ・マンチャの男的発想かと。ということで、私自身、私のあるべき姿をイメージして、日々暮らしています。いつになったらそうなることやら・・・。




 

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